福島旅行 2025年5月20日(火)〜22日(木)
この旅は父が「福島に行ってみたい」と言う話から始まる。私と父の二人旅は不安。福島まで約400Km、自信がない。妹に相談する。父、妹、甥っ子、私の4人で行くことになる。運転はドライブが好きで上手な甥っ子が担当。旅のスケジュールは私が担当。行程を考えて2泊3日の旅にする。ちょうど1ヶ月前の話。
宿泊地については、郡山に住む従姉妹と、磐梯酒造の5代目の桑原氏に相談する。お勧めは概ね似ている。一泊目は行程から東山温泉の温泉旅館に、2日目は裏磐梯のリゾートホテルに。ホテルの予約は妹に頼む、ネット予約は甥っ子がしてくれる。予定していた日程で予約が取れる。幸先が良い。詳細な行程を徐々に詰める。カーナビに入れるための周る場所の住所を行程表に入れてゆく。何回か?修正を加えて完成する。
父と母の故郷で廻ってみたい場所を決める。安勝寺(喜多方の青山家)お墓参り、会津若松鶴ヶ城、東山温泉、土津神社(猪苗代)、磐梯町駅、磐梯酒造、磐梯町立第一小学校、横達社宅跡、ゴールドライン、裏磐梯、桧原湖、五色沼、猪苗代湖、須賀川(母の実家)、ほぼこの行程に固まる。
父との二人の旅行は初めて。旅行に持っていく物の準備。適当な鞄がないので安価なものを購入する。旅に慣れていないので、これもこれもとリストを作って詰めていくと結構重くなる。不要なものが多すぎたと旅行中反省する。2泊3日の旅行にはこんなにいらなかったと。次回はもっと身軽にしたい。
お土産を準備する。まず、千葉のピーナッツの菓子を千葉の物産を扱う店で買い求める。須賀川の実家の昔の写真をプリントする。須賀川アプリコット(庭の杏の木から採取した杏で作った自家製の杏酒3年もの)の3点。須賀川アプリコットはラベルを作成する。庭の杏の花をあしらった写真をメインに。300mlのキュートな瓶を求め瓶詰めする。プチプチで梱包する。iPadに、昔の須賀川の実家の写真、母の写真を入れる。これは皆さんにみていただく機会得ず。そのうち、USBメモリーに入れはお渡ししたいと思っている。
さて、いよいよ!旅の始まりです。
5/20(火)6:30
妹と甥っ子が自宅に迎えに来てくれる。車は姪っ子の旦那さんの車を借りたとのこと。ベルファイヤーと言う車。大きな車。荷物、車椅子を積み込んで福島に向けて出発。天気は良好。常磐自動車道を走る。甥っ子が海が見えた方が気分が良いだろうとこの行程を選んでくれた。ほぼ1時間ごとにトイレ、タバコのためSA、PAで休憩する。この車、実に乗り心地がいい。まず揺れない。ソファが疲れない。高齢の父には至れり尽せり。
ずっと晴れていたが郡山を過ぎたあたりから雨が降り出す。右手に見えるはずの磐梯山、左手に見えるはずの猪苗代湖が濃霧で見えない。残念。会津若松で高速道路を降りる。ここから高く盛られた喜多方への道、国道121号線。雨が強まる。左右は広い広い田圃が広がっているが雨に咽んでいる。
1.安勝寺(喜多方市)
http://www.kitakata-kanko.jp/category/detail.php?id=15
安勝寺の駐車場に到着する。雨が結構降っている。レインジャケットを着てお墓へ移動。親父の書いた見取り図を見ながら本堂裏の青山家代々の墓を探す。裏手15m先の右手通路に墓石群を見つける。向かって左側墓石8基、右側墓石10基が目印。季節がら通路は多くの雑草に覆われている。30年前に来た時と少し景色が違っている。時間があれば草むしりをしたいところ。妹が持参した花と線香を手向ける。合掌。
墓参を済ませて帰り道本堂でご住職と会い挨拶をする。94歳になる父と青山家の墓参に千葉から来たことを伝える。住職は青山家の墓を熟知している様子。「これからもお墓のことをお願いします」と伝えて別れる。お寺に面している道にある墓守りをしている青山家を訪ねる。初め奥さんが出て来られ、ご主人に代わりご住職に伝えた同様の話をする。同じく墓守りしていただいている謝意を伝えて別れる。千葉に帰ったらご住職、青山家の方にはお礼の手紙を書こうと思う。(まだ、書いていない)
お寺を後にして妹が調べて来た喜多方ラーメンの有名店「坂内食堂」に向かうが、店先に大勢並んでいる。大行列。とても並べないので先に鶴ヶ城を見学して戻ってきて空いてる頃の時間を見計らって食べることにして会津若松へ向かう。車中でも良い店がないか?探しながら。
結局、鶴ヶ城の見学などで時間がなくなり、お腹も空き過ぎて喜多方へは戻らないことになる。
2.鶴ヶ城(会津若松市)
鶴ヶ城に到着。西出丸の駐車場に車を入れる。ここからが天守閣に一番近い。とは言っても天守までは距離があるので父は車椅子。私が押してお城へ。早速急勾配。体重が軽くなった父でも力がいる。妹と甥っ子は天守内部を見学。私と父は下の芝生周りを散策。父を車椅子に乗せて車椅子を押すのは初めて。仕事で何十人ものお年寄りを押してきたが、自分の父親の乗る車椅子を押すのは何だか不思議な気持ちである。父もきっとそうだったと思う。荒城の月の歌碑を見る。
LINEで甥っ子に最上階の展望台に着いたら手を振るように伝える。しばらくすると、甥っ子が手を振るのが見える。手を振っている様子をビデオ撮影する。甥っ子も上から同じようにビデオ撮影。
◇ビデオ 鶴ヶ城天守より
3.板新(ラーメン&ダイニング、会津若松市)
お腹が減ったので食事処探し。鶴ヶ城を出て近くのコンビの駐車場でネットで近くのお食事処を探す。コンビにから数十m先にラーメン&ダイニングの店「板新」がある。お腹が空いているのでそこへ向かう。喜多方ラーメン、ミニカツ丼などを食べる。ラーメンは麺よし、汁よし、チャーシューよし。美味しくいただきました。喜多方ラーメンは人気店でなくても、どこで食べても満足いく質の高いラーメンを提供しているのではないかと。今回食べた喜多方ラーメンはチェーン店の「坂内」に引けを取らない。親父は一杯やりたいと。。。東山温泉の美味しいお食事まで待ってもらう。父、残念そうな顔。後日わかったことであるが、この「板新」は喜多方の「坂内食堂」の店の次男坊の店とのこと。どうりで美味いはず。偶然にしてはベストな選択。ラッキーである。
4.原瀧(東山温泉)
https://www.yumeguri.co.jp/index.php
予約していた原瀧に到着する。ロビーからのライトアップされた緑が眩しい。早速、浴衣に着替えて夕食前に父と温泉に浸かる。無色透明の湯。夕食は黒毛和牛しゃぶと馬刺し。大変美味しい。四人席の広い個室。少し暗めの照明でやはり窓から緑が美しい。父は珍しく食が進んでほぼ完食。お酒も美味しそうに飲む。とても素敵な穏やかな時間が流れる。
寝る前に露天風呂に浸かる。紅葉の新緑がライトアップされて下を流れる渓流の音に包まれる。神秘的な雰囲気。一階のロビーのソファーで入浴後瓶牛乳を飲む。美味い。古い振り子時計が10時をつげる。いにしえの音、耳に優しい。そして渓流の音。
◇ビデオ 清流の流れ
◇ビデオ 古時計
◇ビデオ 牛乳自動販売機
5.会津武家屋敷
翌朝、早めにチェックアウトして出発。妹と甥っ子は、旅館を出てすぐの「会津武家屋敷」を見学する。バリアフリーではないので私と父は車中でうとうしながら二人を待つ。二人は急足だったが武家屋敷を堪能した様子。
6.磐梯山眺望箇所(猪苗代町)
https://cycling-tour.jp/index.php/hokkaido-tohoku-region/bandaisan-view-point/
昨日の大雨と打って変わって快晴。これぞ五月晴れ。ドライブ日和。風も少し強いが爽やか。猪苗代に向かう道のビュースポットで三脚を立てて記念撮影する。磐梯山の上の方にはまだ少し残雪がある。表から見る磐梯山は実に穏やかな滑らかな山容である。こころの故郷の山。磐梯山を背景に父の写真もパチリ。
7.土津神社
この神社は父が寄りたいと言っていた神社。いろいろ思い出深い場所らしい。父の家族は東京空襲で焼き出される。母方の住む猪苗代へ縁者疎開する。今回立ち寄った土津神社の参道はまっすぐ猪苗代湖に向かって伸びている。その途中に母方の縁者(穴澤家)が住んでいた。甥っ子は本堂に近い駐車スペースに車を寄せてくれる。ここからだとキツイ階段を登らずに済む。甥っ子は実に気が回る。四人で参拝。境内には大きな鯉のぼりが泳いでいる。静かな心休まる神社。私がお守りを求めていると、父が神主さんと穴澤家(母方の姓)の話をする。昔々の話。話が通じてつながって私はとても嬉しかった。父も昔話ができて嬉しそう。父の希望で立ち寄って良かった。この神社には会津藩初代藩主の保科正之公が祀られている。本殿の上には保科正之公のお墓がある。かなりの登り坂で険しい。千葉に戻ってからの話。父は保科正之公のお墓もお参りしたかったと。私「次回は、上まで登ろうね!」
8.磐梯酒造
両親の仲人さんのゆかりの場所へ。磐梯酒造の三代目の桑原氏は磐梯酒造の社長で町長を務めた土地の名士である。現在はお孫さん桑原大さん。5代に代替わりしている。私と大さんはお互いの年賀状のリストを先代から受け継いでいる。結婚してから絶えることなく年賀状のやり取りをしてきている。また、私も大さんとは、ヒョンなことから数年前にフェイスブックで繋がるようになっている。そして、数年前から父の誕生日には電話でお酒を注文して送ってもらっている。電話にはいつも奥様が出られる。今回、お会いできるかと思っていたが、その日はオカリナサークルに行かれいてお会いできず。残念。。。家に上がらせていただいて、父は線香を手向ける。父は出された清酒を当たり前のように一杯。仏壇に手を合わせる。鴨居には4代の遺影が飾られている。歴史を感じる。
桑原さんに「お爺さんが両親の仲人されなかったら私は今ここにいないわけで・・・」なんだ不思議な感じ。昔が今なのか?今が昔なのか?磐梯酒造の前で、父と五代目、握手して記念撮影、そして、みんなで記念撮影。また、再会を約して。。。五代目の素敵な笑顔が忘れられない。ここも寄って良かった場所になる。
9.磐梯町立第一小学校
https://bandai.fcs.ed.jp/bandai1-es/
私が小学校2年の一学期まで在籍した小学校。今は洒落た煉瓦造り風。昔は木造でプールもありませんでした。プールがなかったので、横浜の小学校に転校してから私は大変苦労しました。当時あった二宮金次郎の石像がまだある。校庭の近くを汽車が走っていました。磐越西線です。黒い煙を吐きながら。入学式には桜の花が満開だったのを覚えている。これが私の小学校の入学式のイメージ。
10.磐梯農場(横達社宅跡地)
日本曹達株式会社 磐梯フィールドリサーチステーション
父の会社の社宅のあった横達に行ってみる。社宅跡地は現在、日本曹達の農場となっている。昔の社宅の面影は全くない。父、少し寂しそう。
〜磐梯ゴールドライン〜
何箇所か展望スペースがあり、車を停めて山並み、眼下に望む猪苗代湖の展望を楽しむ。段々、磐梯山の山頂が近くに迫ってくる。5月だというのにまだ所々に残雪が見られる。
11.檜原湖、五色沼
裏磐梯へ到着。妹と甥っ子は五色沼を散策。その間、休憩所で父と目の前の五色沼を眺めながらリクライニングのソファに座って過ごす。父は落ち着きなく休憩所の中の売店を廻って歩く。
12.裏磐梯レイクサイドホテル
裏磐梯レイクサイドホテルに到着。立派な大きなリゾートホテル。
早速、温泉へ。大浴場と露天風呂がある。露天風呂へ。眼下に桧原湖。奥に山並み。陽が傾き山に沈む様子を見ながら湯に浸かる。疲れも取れる。時間が止まっているのではと錯覚する。極楽とはこのことか!
この桧原湖で父と母は出会ったと聞いている。(諸説あり)磐梯山のスキー場でと言う説もある。いずれにせよ二人が出会ったお陰で私、子供たち、孫がいる。あたり前といえばあたり前だが、やっぱり不思議。たくさんの時が流れて。
夕食、朝食はバイキング。バイキングのテーブルはホテル内を車椅子で移動する父のために食事をとりやすい一番近い席を用意してくれる。甥っ子の気配り。有難い。皆さんバイキングは好きですか?私は空いている時のバイキングはまだしも、混雑時には競争をしているようで落ち着かない。周りにさあ!食べるぞと言う殺気を感じてしまう。その殺気につい負けそうになる。
13.猪苗代湖
朝食を済ませてホテルをチェックアウトし須賀川へと向かう。昨日と打って変わってどんよりとした空。結構な雨が降っている。裏磐梯から猪苗代湖へ降る。
甥っ子が猪苗代湖が間近に見える場所を探して湖畔をしばらく走る。西に走り野口英世記念館のあたりへまで行くが湖畔から離れている。戻って湖畔を東へ。漸く湖畔を走る道に出る。そこで記念撮影。私は両親と猪苗代湖で泳いだ記憶があり写真も残っている。猪苗代湖の水は冷たかったのを覚えている。猪苗代湖、日本第二位の湖。まるで海のような大きさ。来る時はなぜか天気が悪い。
15.叶屋金物店跡地
母の実家は須賀川市中町にある。叶屋金物店と言う金物屋さんを営んでいた。母の兄弟は10名と大勢、男子は金物店を手伝っていた。母の実家の叶屋金物店は東日本大震災で傾き取り潰し今はない。隣に立ったホテルの駐車場になっている。跡形もない。当たり前。もう、ここには土地の記憶、生活の記憶がない。昔の繁盛していた頃の面影がない。父には見せたくない風景。でも寄ってみた。父にここが叶屋のあったところだよと話したがピンとこない様子。みんなで記念撮影。須賀川はウルトラマンの故郷「M78星雲 光の国」と提携している。須賀川の町に怪獣にモニュメントたくさんがある。記念に怪獣と父パチリ。父はなんで怪獣がいるのかわからない。でもピースをしてポーズ。父の悲しい顔をみなくて良かった。
14.和加ちゃんの家(須賀川市)
叶屋金物店を後に、和加ちゃんの家(母の兄弟の長男の長女の家)に向かう。家に通じる道の入り口に「かのうや」の大きな看板。迎えてくれたのは、長女和加ちゃん、次女宮ちゃん、何年振りだろうか?いや何十年振りか?でも、顔を見てすぐわかった。歳はとっているが雰囲気は昔のまま。須賀川訛り。私はこの言葉が大好き。とても優しい、耳に心地良い。「そうだっぱい!」(そうでしょ!)
若加ちゃんが私を庭に招く。庭は家庭菜園になっている。いろいろな野菜が所狭しと植えてある。赤紫蘇とコキアを持っていくように勧められる。それぞれ何株か掘って持ち帰る。持ち帰って根づく。また、須賀川ゆかりのものが。
和加ちゃんに母の杏の話をする。母が須賀川から持ってきた杏の種を育てて今の家の庭に植えて今は大きくなって毎年花を咲かせ実を結んでいることを。母が須賀川のどこの杏の木の種を持ってきたのか?ずっと知りたかった。和加ちゃんが、「そこの木だっぱい!」と。。長年の疑問が解ける。自宅の杏の木のひとまわり大きな木が庭の左の方にある。これが我が家の杏の木のご先祖様である。思わず合掌。
今回、須賀川の皆さんにお土産を持ってきた。一つは家にあった写真のプリント、ピーナツ菓子、そして杏酒。杏酒は、我が家で採れた杏の実で作った3年もの。ラベルを作ってボトリングした。300mlの小瓶。
和加ちゃんから「叶屋の歴史」と段ボールを一個。開けてのお楽しみと。それと須賀川の焼きそば。これは父が大好きで。色が濃くて太い麺である。このようなそばは他ではみられない。これを1kg。宮ちゃんには須賀川でしか売っていないソーセージをいただく。須賀川ではこのそばとソーセージで焼きそばを作るのが定番とのこと。
わかちゃん、みやちゃん、謙ちゃんのお土産の写真
15.食堂楽 ひさご 須賀川店(須賀川市)
https://r.gnavi.co.jp/awgep2p60000/
会食の店に到着。我々を待っていてくれる。全員集合!母の兄弟廣昭さんと奥さん、長男の娘、和加ちゃんと宮ちゃん、長女の長男の謙ちゃん、長女の貴世ちゃんと我々4名、全員で10名。
みんなで乾杯。お酒は父のみ。盛大に会食が始まる。母の話、叶屋の話、今回の旅の話、、、そして積もる話。
準備していたお土産を渡す。
・写真のプリント
・ピーナツ菓子
・自家製「杏酒」須賀川アプリコット300mlの小瓶。
写真は喜ばれる。ない写真があるので欲しいと。帰ったら送ることを約束する。我が家の写真はデジタル化してあるのでUSBメモリかSDカードで入れは送ろうと思う。
父の若い頃の話になる。背が高くて格好よくて、従姉妹たちは父が叶屋に遊びにくるのが嬉しかったと。そして抱っこしてもらうのを楽しみにしていたと。モテモテだったらしい。私は父の若い時の写真を見ると格好良いといつも思う。私はどうして?と思う。隔世遺伝なのか?おじいちゃんごめんなさい。
父はこの会食の状況をどのくらい理解できたか心もとない。もう少し父を中心に会話できるようにすべきだったと反省している。でもそれも難しかったと思う。流れに沿って自然で良かったのかもしれない。もっと話したかった、いろいろ聞きたかったこともあったはずなのに時間はあっと言う間に過ぎて集合写真を若い店員さんに撮ってもらってお開きとなる。
みんなで握手をして再会を約す。店の外に出て、車を見送ってくれる。貴世ちゃんが車の窓越しに別れを惜しみ寄ってくる。「青山さん!元気でね!」涙目。。。車は母の実家の須賀川をあとにする。
17.JR郡山駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/郡山駅_(福島県)
妹がママドールなどのお土産購入する。そして帰路につく・
帰りは東北自動車道を使う。帰りの車中で、また、こうした父と旅行ができるといいな!福島でなくても近場で旅行できるといいな!と。
20:00 無事帰宅する。無事、福島旅行を終えることができた。長時間車を運転してくれた甥っ子に、色々調整してくれた妹に感謝。この度で出会った人たちに。。お寺の住職さん、ホテル・旅館の方々、神社の神主さん、宿泊地の紹介までしてくれた両親の仲人さんのお孫さん、須賀川、郡山のおじさん、おばさん、従兄弟、従姉妹、の皆さんに感謝。父の「福島へいきたい」の一言から始まったこの旅も無事終えることができました。ずっと、父の「よしひろ福島良かったね」が続いています。素敵な思い出。
良かった。良かった。お終い!
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